『やめるときも、すこやかなるときも』 窪美澄
その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか。
これは結婚式でよく聞く誓いの言葉です。
喜ばしいことだけではなく、辛いことも悲しいことも二人で分かち合って乗り越えていきなさい。
この言葉にはこのような含意があると思います。
この小説は家具職人の壱晴と会社員の桜子が出会い、結ばれていくストーリーです。
二人はどちらも心に「傷」を抱えています。
壱晴は、あるトラウマのせいで、毎年同じ時期に突然声が出なくなる「記念日反応」という心の病を抱えています。
桜子は、酒に溺れ、家族に暴力を繰り返す父を抱えています。
桜子が壱晴の心の傷に寄り添い、壱晴が桜子の家庭と向き合うことで二人は距離を縮めていきます。
壱晴と桜子の恋は打算的な恋です。
壱晴は過去のトラウマを乗り越え、病を克服するために桜子を求め、男性と一度も肉体関係を持たずに30代になってしまった桜子は、窮屈な家庭を抜け出すために壱晴を求めました。
純真無垢な二人が結ばれる、キラキラした恋愛ストーリーとはかけ離れたものです。
しかし、打算的だからこそ現実的で、美しいと思うのです。
ぼくの好きな曲の一節に次のような言葉があります。
キレイとは傷跡がないことじゃない、傷さえ愛しいという奇跡だ
(Official髭男dism 「ビンテージ」より )
相手の「傷」をひっくるめて愛したいと思えた。
そんな相手を見つけられたことは二人にとって奇跡だと思います。