大学生の読書感想文

大好きな小説の魅力を紹介します

『革命前夜』 須賀しのぶ

動乱の年1989年

 

※本の内容のメタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

【目次】

1. あらすじ

2. イェンツはなぜヴェンツェルにトドメを刺さなかったのか

 

 

1. あらすじ

 

物語の舞台は1989年東ドイツ

 

日本では昭和が終わり、ドイツではベルリンの壁が崩壊する激動の年です。

 

日本人ピアニスト・眞山柊史はこの激動の年に、東ドイツの都市・ドレスデンへ音楽留学をします。

 

柊史は音楽大学で同年代の優秀な音楽家たちに出会います。

 

彼らとの実力差に打ちのめされ、柊史は自分の音を見失い、スランプに陥ります。

 

彼の懸命な努力と、音楽家たちとの交流を通じて、柊史はスランプを脱し、自分の音楽の形を見出していきます。

 

一方で、東ドイツ社会主義国家であり、国家保安省(シュタージ)が反国家的な思想を厳しく取り締まっていました。

 

柊史が大学で一番親しくしていた天才ヴァイオリニスト・イェンツも、実はシュタージの一員だったのです。

 

どこに密告者が潜んでいるかわからない、不自由で息苦しい当時の東ドイツの状況を見事に描写した作品です。

 

 

2. イェンツはなぜヴェンツェルにトドメを刺さなかったのか

 

ある日、柊史と同じ大学に留学していたピアニスト・ヴェンツェルが襲撃され、致命傷を負います。

 

柊史はこの襲撃の犯人がイェンツであると確信し、イェンツを問い詰めます。

 

イェンツはあっさり自分の犯行であると認めました。

しかし、留学生・李の話を聞いて、ヴェンツェルをナイフで刺した犯人はイェンツではなく、ベトナム人留学生・スレイニェットであると判明します。

 

イェンツは彼女を庇うために、自分が犯人であると偽ったのです。

 

 

イェンツは現場に居合わせた李とニェットに対して、「後始末は自分でする」と言ったのにもかかわらず、ヴェンツェルを殺害しませんでした。

そして、ヴェンツェルの利き手である左手をナイフで突き刺しました。

 

 

ヴェンツェルの口からニェットの犯行がバレてしまう可能性があるのにもかかわらず、なぜイェンツは彼を殺害しなかったのでしょうか。

 

 

考えられる理由の一つは、ヴェンツェルの横暴な性格に対する怒りと、彼の才能に対する嫉妬です。

 

ヴェンツェルは豊かな感性を持つ天才ヴァイオリニストですが、人を思いやれない横暴な性格な持ち主です。

 

イェンツは彼の才能に対する嫉妬から、無意識に彼の利き手にナイフを突き刺し、ヴァイオリンを演奏できなくなった状態で彼を生かしておくことで、「生き地獄」を味合わせようとしたのではないかと思います。

 

 

 

ただ、合理的な人間であるイェンツが私怨だけでヴェンツェルを生かしておいたとは考えられません。

 

彼はヴェンツェルの才能を認めていて、失うには惜しいと考えたのではないでしょうか。

 

「数々の横暴な振る舞いで前途ある留学生たちを狂わせたヴェンツェルを許すことはできない。

でも、彼の才能は失うには惜しい。ヴァイオリンが演奏できなくなっても、別の形で活躍するはずだ」

 

そんなイェンツの相反する思いの妥協点が「ヴェンツェルの利き腕を潰し、生かしておく」という決断だったのだと思います。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『老人と海』 ヘミングウェイ作 高見浩訳

人間の生物としての本能

 

【目次】

 

1. 本の内容

2. 生と生のぶつかり合い

 

 

1. 本の内容

 

老人と海』は、84日間不漁に見舞われた老人が、大物獲得を目指して一人で漁へ出るストーリーです。

 

老人は数日の格闘の末、超大物カジキを釣り上げますが、カジキの血を嗅ぎつけたサメが幾度となく死肉を食い荒らそうと近づいてきます。

 

老人とカジキとサメ。三者が命をかけてぶつかり合う。生命の躍動が感じられる作品です。

 

 

2. 生と生のぶつかり合い

 

84日間の不漁の末、ようやく老人の釣綱にカジキがかかりました。

 

しかし、カジキはそう簡単に釣り上がってはくれません。

鉤にかかったまま海深くを泳ぎ続け、持久戦に持ち込んだのです。

 

老人は肩に釣綱をかけてカジキを引っ張り続けたまま数日間、不眠不休で泳ぐカジキと対峙し続けます。

 

 

老人が命をかけてカジキに立ち向かう様は、ヒトの生物としての本能が露わになった形であると思います。

 

力では敵わない自然界の大物相手に、知力で対抗してきた勇ましい人間の姿。

ヘミングウェイは、この姿が人間の本来あるべき姿であると考えているのだと思います。

 

 

老人はやっとの思いでカジキを釣り上げますが、サメの襲撃を受け、カジキの肉はほとんど食いあらされてしまいます。

 

必死に釣り上げた大物を横取りされる老人の気持ちを考えると切なくなりますが、サメも生きるために必死なのです。

 

一筋縄ではいかない自然界の厳しさを教えられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』 南杏子

終末期医療のあり方を考える

 

 

【目次】

 

1. 本の紹介

2. 死を受け入れることの難しさ

3. 家族と一緒に終末期医療を考える

 

 

1. 本の紹介

 

『サイレント・ブレス』は終末期医療を題材にした小説です。

 

東京の大病院に勤務していた主人公・水戸倫子はある日、上司の大河内教授に命じられて、在宅患者を扱う訪問クリニックへ転勤します。

 

倫子は当初、病院で先進的な治療を受けることを望まず、自宅で安らかな最期を迎えることを望む患者たちの意向に戸惑いますが、在宅医療で様々な患者に向き合うことで、積極的に治療しない医療を肯定していきます。

 

 

倫子はプライベートでも命に関わる難しい判断に直面しています。

 

 

倫子の父は寝たきりで意識がなく、胃瘻で辛うじて命を繋いでいます。

倫子は訪問医療の仕事を通じて、父との向き合い方を考え、大きな決断を下します。

 

 

死というテーマを考えるときは重苦しく、感情的になりがちです。

 

しかし、死という題材を倫子の成長物語の中に埋め込むことで、重い気持ちになりすぎずに、倫子と一緒に冷静に死に向き合うことができます。

 

 

新型コロナウイルスの脅威に直面し、人の死について感情的な議論が多くなっている今こそ読むべき本だと思います。

 

 

2. 死を受け入れることの難しさ

 

第一章(ブレス1 スピリチュアルペイン)で、倫子は末期乳がん患者である45歳の女性作家・知守綾子を担当します。

 

綾子は「死を受容する五段階」を提唱した終末期医療の第一人者、エリザベス・キュープラー・ロスに取材をし、その考えをまとめた解説書を書いています。

 

この考えに影響を受けた綾子は、大学で抗癌剤の治験を受けることを拒否し、「死ぬために」家に戻ることを選びました。

 

このように、自分の終末期について明確な展望を持っていた綾子でも、死の間際には「あんなにうまく行くもんじゃなかった」と述べています。

 

 

「死を受容する五段階」は死を受容するプロセスの一般論を述べているだけに過ぎません。

 

特に、若くして末期癌にかかった綾子は「なんでこんな早く死ななければならないのだろう」という葛藤が人一倍強かったのでしょう。

 

なかなか死を受け入れられず、激しい悩みや苦しみに苛まれていた綾子は臨床宗教師・日高春敬住職に心のケアをしてもらうことで死を受容していきます。

 

 

死の受容という精神的な要素の大きい問題については学問や科学だけでは解決できない問題が多く、宗教などの非科学的な分野の貢献が大きいのだと感じました。

 

 

3. 家族と一緒に終末期医療を考える

 

『サイレント・ブレス』では、患者の意思と家族の意思が対立する場面が多く見られました。

 

ブレス3やブレス6では、家族の意思が強過ぎたがゆえに患者の意思が蔑ろにされ、患者が苦しい終末期を過ごさざるをえなくなってしまいました。

 

近年ではリビングウィルという、終末期における医療の選択について事前に文書化して意思決定しておくという考え方が広がっています。

 

これからは、本人の意思を文書化して残すことだけでなく、その意思について家族と相談しておくことも促進していかなければならないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『羊と鋼の森』宮下奈都

平凡な人間が天才に立ち向かうためにはどうすればいいか?

 

【目次】

1. あらすじ

2. 凡人の心得1:好きなことに熱中せよ

3. 凡人の心得2:高い目標と決意を持て

 

1. あらすじ

・主な登場人物

外村:高校時代に天才調律師板鳥と出会い、調律の世界に惹かれた。

専門学校で調律を学んだのち、板鳥が勤めている小さな楽器店に就職する。

 

板鳥:誰もが認める凄腕調律師。

 

和音と由仁

外村が調律を担当した双子の姉妹。

外村は仕事以外の面でも姉妹の相談に乗るなど、親しい関係を築いている。

本番で普段以上の実力を発揮し、観客を魅了する演奏ができる由仁に対して、和音は引け目を感じていたが、由仁が病気でピアノが弾けなくなると、プロを目指すという覚悟が芽生え、実力が開花する。

 

主人公の外村は、楽器の演奏経験がなく、調律の仕事でも何度も失敗を重ねています。

調律師としてまだまだ優秀とは言えません。

それでも板鳥という天才を追いかけ、日々調律の勉強を惜しみません。

 

和音は、由仁という身近な天才ピアニストに嫉妬し、苦悩することもあります。

それでもピアノを練習するのが好きで、毎日ピアノを引いています。

 

「凡人」の二人は、圧倒的な才能を持つものが身近にいてもどうしてめげずに頑張り続けられるのでしょうか?

 

2. 凡人の心得1:好きなことに熱中せよ

外村と和音には共通点が多いです。

その一つが、好きなことに熱中して、とことん努力できることです。

和音は「弾けなかった曲が弾けるようになると嬉しいからつい練習してしまう」と述べています。

外村はそんな和音に対して、

 

「努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。それを努力と思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がっていくんだと思う。」

p214, 215

 

という感想を抱いています。

 

かく言う外村も、毎日勤務時間外に調律の演習に励んでいて、それを酷に思っていません。

 

思えば、僕が努力するときにはどうしても人に褒められたいとかお金をもらいたいとか打算的な理由が入ってしまいます。

純粋に好きだから努力するのって難しいことだけど、そういう好きなことを見つけられたら楽しいだろうなあと感じますね。

 

好きなことに熱中して、努力を苦にせず頑張り続けられる力が、凡人が周囲との才能の差に絶望せずに立ち向かうために重要な要素なのだと痛感しました。

 

3. 凡人の心得2:高い目標と決意を持て

和音は、由仁が病気でピアノを弾けなくなったことをきっかけに、プロを目指すと決心します。

その後、和音が外村が勤務している楽器店で演奏すると、「あの子あんなにすごかったっけ」と評価されるほど大きく成長しました。

 

高い目標を持ったことで、才能への嫉妬と言う心の枷が外れて自分に自信が持てるようになり、惜しまぬ努力によって手に入れた力が解放されたのだと思います。

 

今は自分に自信が持てない外村も、目標が明確になれば、優秀な調律師になれると思います。

事実、この小説の最後も、外村の実力が開花する期待に満ちたものになっています。

 

高い目標を持つことで、周囲との才能の差に愕然とするよりも、自分の実力を伸ばしていこうという前向きな気持ちをもたらしてくれるのだと思います。